No.154 [特攻野郎、死ぬのは奴らだ!]
2010年6月号



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 【ひねくれコラム】NO・154
 〈特攻野郎、死ぬのは奴らだ!〉
▼彼らは一体、何者なんだ。血へどを吐く
ような訓練に明け暮れ、あまつさえ人格をも否定され、軍の規律・命令には絶対服従を誓う「軍団」。彼らにおける行動の指針は「敵を見たら殺せ!〔Kill !〕」。
▼一九五〇年六月二十五日突如、中国義勇軍の支援を受けた「北軍」が38度線を越え、あっと云う間に当時の京城(ソウル)を占領。ふいを衝(つ)かれた米軍を代表とする国連軍は撤退、南下。港街 釜山(プサン)まで追い込まれる。
▼九月十五日、マッカーサー率いる米軍の艦隊が仁川(インチョン)に上陸。後、反撃に転じ北上。そして京城(ソウル)を奪還。撤退するときは「後駆(しんがり)」、反撃するときは「最前線」。常に降り注ぐ銃弾の矢面に起(た)つのが特攻野郎の任務。不合理でもある。しかし、それが彼らの「誇り」であり、「自我(じが)」でもある。
▼彼らの任務の中心は上陸作戦を担当する。特殊目的軍とも云われる。その後、「陸軍」「海軍」「空軍」の攻撃を引き出すために常に先兵の役割を果たす。人道援助行動、災害救援活動、後方支援、爆殺、偵察、人質救出、航空機及び、乗員の救出といった特殊任務等々、多岐にわたる。
▼一九四五年二月十九日、硫黄島の戦いにおいても先兵となり、鬼と化した日本軍の猛攻に耐え、多大な犠牲を払い、二十三日午前十時十五分、「摺鉢山(すりばちやま)」頂上へ到達。そして、米国の象徴でもある「星条旗」を誇らしげに掲げる彼ら数人の若者。永遠に記憶に残るシーンでもある。

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▼米兵の死、七千若名。同じく日本兵の死、二万余。銃器も重装備もない、食糧もない凄惨で圧倒的に不利な状況の中、最後まで戦い抜いた日本兵も称賛に値(あた)いする。一九八五年二月、生き残った日米の退役軍人が集まり、「合同慰霊祭」では国境を超え、互いの勇気に敬意を表したという。
▼なぜ彼らはそれまでして命を賭(と)すのか?
「忠誠心」と「使命感」。当時のチェスター・W・ニミッツ米海軍大将はこう云った。『硫黄島で戦った人の間で、類稀(たぐいまれ)な勇気は共通の美徳だった』―と。そう、彼らとはすでにお解りのように【米海兵隊】と呼ばれる。
▽話は翻(ひるがえ)るが、沖縄「普天間」の問題に対し、こういう人もいる。「彼らの役目はイラク、アフガンへの派遣。日本国は他国の侵略に加担している。米海兵隊は、日本国を守るために存在する訳ではない」と。
▽「有事の場合、まず救出するのは自国民、グリーンカード(米国の永住許可書)保持者、英国、加、豪、ニュー・ジーランド人、いわゆるアングロサクソン人種である」―と。当然の理である。もしも韓半島有事の際、日本国自衛隊が救出するのは誰だ? 先ずは日本国大使そして、日本国民であろう。
▽「抑止とは存在することによって、他の外敵勢力を抑え留(とど)めること」。沖縄に米軍がいなくても、日本国自衛隊でも「抑止力」は働く。それには「集団的自衛権」が必要となる。そして、若き自衛隊員の生命を負(うけお)う覚悟はあるか? 長年虐(しいた)げられてきた沖縄県民も同じ大和(やまと)の国民でもある。何とかせい!  
―最高司令官首相閣下殿          ―夢追人―

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